頭の良し悪しは関係ありません。
ある習慣を持っているかどうかです。
悪いのは、本人でも家庭でもありません。
学校が悪いんです。
どういうことかというと…
日本語を普通に話している以上、
能力にの差はほとんどありません。
本当は、勉強って楽しいものです。
初めて文字を読めたとき、書けたとき、
足し段ができたとき、歌を覚えたとき…
小学校の入学式の頃は、
誰でも学校が楽しみだったはずです。
ところが、あるときから
授業がおもしろくなくなる。
宿題をしなくなる。
勉強が嫌いになる。
一旦そうなると、
勉強が好きだった幼児期には戻れなくなります。
本人は悪くありません。
もちろん、お父さんお母さんも悪くありません。
学校が悪いんです。
その仕組みを作っている国が悪いんです。
今の学校制度には問題があります。
そもそも人には「知りたい」「学びたい」欲求があります。
2~3歳の「なに?」「なんで?」はその欲求によるものです。
その欲求自体は一生持ち続けますが、
その素晴らしい欲求は、学校によってふたをされてしまいます。
なぜなら、わからないときが来るからです。
何かわからないことがあって、
それを納得できないままに授業が進めば、
そこから先を見失ってしまいます。
特に積み重ねが大切な数学や英語はその傾向が強くなります。
簡単な理由ですが、
それを埋める事ができないのが今の日本の学校です。
個々のレベルに合わせて、それぞれの学習が進むシステムなら
わからないこと・できないことを持ち越せないシステムなら
つまづくことなく「知りたい」欲求を持ち続けるでしょう。
しかし、今の学校はそうはなっていません。
その被害者にならないために家庭でできる対策は、
自分で学ぶ力を持つ子どもに育てることです。
そのために最も重要なのは幼児期。
この時期に自学自習の習慣をつければ、
学校の授業でわからないことがあっても、自力で学ぼうとします。
先生や友達・親に聞いたり・調べたりして、
わからないことが解決できれば、つまづかずに
翌日の一斉授業についていくことができます。
中には、「自学自習」を自然にできる子どももいます。
それがいわゆる「頭の良い」と言われる子です。
つまり、「できる子」と「できない子」の差は、
頭の良し悪しではなく
「自学自習」できるかできないか
つまづいたときに自分で解決しようとするかしないか
のわずかな違いでしかないのです。
しかし、そのわずかな違いが、徐々に大きな得点差となり
その人の意識・人生をも変えていきます。