ある部分で生徒に合わせない
生徒に合わせないというのは、
大切なことだとぼくは考えている。
ぼくのスタンスはあくまで、「勉強には目標があり、
それに自分を合わせなければいけない」というものだ。
一体、どこの世界に個人に合わせてくれる基準があるのか。
高校に入るにせよ大学に入るにせよ、大雑把に言えば、
必要な学力というのは最初から決まっているのである。
「僕は努力しました。だから入れてください」
こんなことは絶対にありえない。
そこで、結果のことをいつも考えないといけないし、
そこに個人の事情などは入り込む余地はないと思っている。
もちろん、
だからといって、努力の価値の低下を言っているわけではない。
むしろその逆で、だからこそ努力が価値を持つのだ。
個人の事情「甘え」はこの種の勉強に相容れない。
そこをいつもきちんといきたい。
別に勉強なんてしなくたって生きていけるのだ。
塾なんて余分なもの、といえば全くその通り。
だからこそ、逆に、価値を生めるんだと思う。